ひとりって素晴らしくステキ

この1年ほどは「集まるな、近寄るな」ってことの繰り返しですね。仕事も学校もリモート推奨になっていて、友人はもちろん家族とも対面で合う機会がなくなりました。

これで「会えなくて淋しいな」と思う人がいるだろうとは思いますが、案外平気だったりしませんか。わたしは、気が進まない時に無理して付き合わなくてよくなって、むしろ楽になったなと感じていたりします。


大勢が集まると、どうしても集団意識に合わせることを要求されちゃったりして、それが自分の本心と違っていたりズレているように感じていても、まあそこは大人の対応として足並み揃えてやり過ごしていますよね。

色んな人と一緒に生きていく社会生活だから、周囲の人とうまく付き合っていくことってとっても大事で、それは身につけたほうがいい対処方法なんですけど、それが時に息苦しく感じていたのだと思います。


わたしはそんな周囲の雰囲気に違和感を感じて、居心地が悪く感じることが多かったんです。

どういったらいいのか…絆疲れというか、感動を押し売りされている感じと言うか。


絆って、本来は「くびき=家畜をつないでおく綱」のこと。「断ち切りたくても断ち切れないこと」「しがらみ」「呪縛・束縛」ってことだから、しょっちゅう「絆きずなキズナ」って言われ始めてからものすごく違和感アリアリだったんです。


もちろん相手に対して敬意のある態度で接して、人に親切にしたいと思っているけど、妙な熱量を持って「人と人との絆を大事に」とか言われるとこころから共感できない感じ。

子供の頃に、さっさと宿題やりなさいって言われたときの「今やろうと思っていたのにぃ」と似た感覚です。気持ちを削がれてしまう、こちらの感情とかタイミングを尊重されなかった残念感ってことかもしれませんね。


改めて思うのは、集まらない、近寄らない、話さないってことが、別に苦痛じゃないってこと。

ひとりで家でのんびりする、好きな映画を見て、本を読んで、ひとりで散歩に行って、買い物して、食べたい時に食べたいものを作って食べる。

ひとりってこんなにも楽で気分良く暮らせるんだって、再認識する最近です。

問題は会いたい人に会いに行けないこと、離れて暮らす家族などは大切に思うからこそ会いに行けないですね、それが残念。けど、今できるのは今ある場所で機嫌よく暮らすこと、そう思っています。


ひとりって素晴らしくステキ

無理になにかをしようとしなくても、自分が好きなことをして、そんな自分がいいなーと思えたら、今よりずっと自信を持って、好きなことを好きなようにやっていける、そんな気がするんです。


読んでくださってありがとうございました

*さり*


ひとり好きのひとりLIFE

「ひとり」って決して「孤独」じゃない。好きなことを好きなときに好きなように。自分の気持ちに素直に生きる。だから「ひとりって素晴らしくステキ」