誰にも知られていないことが彼らを強くする:秘密の花園/フランシス・ホジソン・バーネット

児童書の名作「秘密の花園」(フランシス・ホジソン・バーネット著)です。

小公子や小公女のように、幼い子供が不慣れな環境に置かれて、そこで出会う人々と新しい経験を重ねて成長していく物語ですが、このストーリーは少々趣が異なります。

誰からも大切にされない(されていると思えていない)少女・メリーが、わがまま放題な少年・コリンと出会い、屋敷と広大な庭で見つけた荒れ放題の花園で日々を過ごしていく日々の中で、メリーは自由に振る舞えるようになり、コリンは相手を思う行動を取れるようになります。


わたしが子どものときにこの物語を読んだ際は、誰にも知られない場所があったらいいなと、そこにあこがれを抱きました。ちょうどその頃仲良くしていた友人と遊んでいた原っぱの小さな崖(大規模マンションの建設予定地らしきなにもない更地でしたが)に作った拾ってきた木切れやタイヤでできた秘密の場所がありました。

学校帰りにその崖に集まっては、特に何をするでもなくただ話したり崖沿いに穴を穿って棚を作ったりしていました。そこはちょうど空き地の端、気が茂っていて道路からは見えない場所だったので、自分たちだけの場所でただ過ごす時間。

秘密の花園のような明るく華やかで彩り溢れる世界とは違いますが、土っぽい崖に持ち込んだタイヤに座って、自分だけの時間を過ごすことは、きっとこころの成長に役立ったと思っています。


映画版を観たのは随分前なので記憶が曖昧ですが、小説よりちょっとコリンのお父さんがやりきれない感じに思いました。

いま再び観たらまた異なる感想があるのかもしれませんね。小説も映画も、それに触れた時の自身の状態/環境によって受け取りかたがまったく変わってくるように思います。

なんどもくり返し読み観ると、前は気づかなかった文章、こんなシーンあったかなと思うような場面があったりします。思い出した時がチャンスなので、また読み返し、見返してみようかと思いました。


今はどこに行っても誰かがいて、ひとりでいられる場所や時間は見つけにくいけれど、周囲から切り離されることは、自分を育てる大事な環境だなと思います。

ひとりでいるってことは、決して悲しくも淋しくもないし、むしろ素晴らしくステキなことだと思っているのです。

*さり*

ひとり好きのひとりLIFE

「ひとり」って決して「孤独」じゃない。好きなことを好きなときに好きなように。自分の気持ちに素直に生きる。だから「ひとりって素晴らしくステキ」