ひとりLIFE/自分を好きでいられる簡単な方法

すっかり秋になって、ぶらぶらお散歩するのが楽しい季節になりました。

公園などに行くのも楽しいですが、住宅街をぶらつくのもとてもおもしろいんです。お家が見えないほどの広い敷地の豪邸やきれいに手入れされた庭、それとは逆に木々も蔦も伸び放題の古びた住宅など、気をつけてみると楽しみがたくさん見つかります。

去年の春以来、住宅街を散歩するのが運動がわりの楽しみになりました。


先日も秋の陽気に誘われて住宅街をぶらぶらとお散歩していたのですが、ふとひらひらと動く黒いものが視界の端っこ、足元に見えました。なんだろうなと思いながらも、歩くペースを落とさずにその黒いものを通り過ぎたとき、目で見た情報が一歩遅れで脳に届いて、黒いひらひらがなんだったか判明しました。

視界に入っているけど、それに集中していなくが、見えていたものが何だったかちょっと遅れて理解するってことないですか? 脳の処理能力にディレイがあるみたいな感じです。


ちょうどその時もそんな感じで、5mくらい通り過ぎてから、その黒いひらひらが蝶々だって理解したんです。黒くてちょっと大ぶりの蝶々でした。

しかも、どうやら少しばかり羽が傷ついているみたいなのです。

歩みを止めずそれに意識が向いていないまま通り過ぎてしまったのですが、足の運びとは別に頭の方は遅れながらも「わ、どうしよう」って考え始めるんですよね。

道路の真ん中で、羽が傷ついた蝶々がひらひらと動いている。さて、どうしましょうか?


振り向いて遠目で確認すると、片方の羽が半分以上欠けて破れてしまっていて、かなりダメージは大きそうです。

けど、このまま道路の真ん中にいては、次に来る車に轢かれてしまうかもしれません。

かなり弱っているし、助かりそうにないように見えるけど、なにもせずに通り過ぎていいのか?

弱っているとはいえ動いている蝶々がちょっと怖い気もします(虫全般苦手…)


ほんの2〜3秒、ぐるぐると思考がめぐります。

そこで思ったのは、助けてももう助からない気がするし、ひらひら動く蝶々を触るのはちょっと怖いけど、ここでこの蝶々を見捨ててしまう自分でいいのか?ってこと。

今日以から先ずっと「道で弱っている蝶々を見捨てたわたし」として自分を好きでいられるか?

この問が浮かんだとき、わたしは引き返しました。こう書くと大げさだけどほんの2〜3秒間のことですよね。


5メートルほどを引き返して、道路の真ん中で弱々しくひらひらする蝶々をこわごわそっとつまんで、すぐ横の木の枝にそっと乗せました。黒い蝶々はひらひらと力なく羽を動かしていました。

「ここなら安心だよ、よかったね」

蝶々に小声で言葉をかけて、そっと散歩に戻りました。なんだかじんわり目頭が熱くなりました。


どんな自分でいたいのか、自分の選択を好きだと思えるか、やったことを良かったと思えるのか。

これが自分を好きでいられる方法だと思うんです。

道で弱っている蝶々を見て見ぬふりをして、気づいていたのに素通りする自分であっては、その日から先わたしは自分のことを「好きだ、いいやつだ」っって思えない…。

自分を好きでいられる方法って案外簡単なはず。こうしよう、こうしたいって思うことを、そのまま素直に行動していけばいいだけなんですよね。

こんな自分が嫌いだ!って思っちゃうような選択をしないことですよね。

人生は常に選択の繰り返し。たとえそれが道の蝶々を助けるって小さなことであっても。

だから、今日から先もわたしは自分のことを好きでいられる気がします。

*さり*



ひとり好きのひとりLIFE

「ひとり」って決して「孤独」じゃない。好きなことを好きなときに好きなように。自分の気持ちに素直に生きる。だから「ひとりって素晴らしくステキ」